これまでは、旅に出た時に知り合って交流を続けるケースが圧倒的だが、日本で知り合ってその後交流を続けているケースもある。ベルリンに住むR夫妻のことである。1999年春、夫妻が所属するベルリンのアマチュアオーケストラAkademisches Orchester Berlin (AOB)のメンバーとして演奏旅行にやって来た。その時、極めて狭いにもかかわらず、我が家に宿泊したのが出会いのきっかけである。


その後は音信が途絶えていたものの、2016年に再会を果たすことができた。その時、私はプラハからライプツィヒを経由してベルリンを訪れることができた。着いた日の13時から、ベルリンフィルハーモニーのホワイエで無料のランチタイムコンサートが行われるタイミングだった。しかも、クラリネット奏者のW. フックス氏、フックス=今永靖子夫人がフルートを吹く絶好の機会を、一緒に聴くことができた。到着した時、ホワイエは開場前から長蛇の列ができていおり、多くの人で溢れかえっていた。心なしか会場には日本人らしき聴衆が多かったように思う。
AOBに所属する夫妻の夫人Eさんはヴァイオリン、夫のGさんはコントラバス奏者である。フィルハーモニーでは、ベルリンフィルを聴く機会も多々あるだけでなく、大ホールを会場に所属オーケストラの定期演奏会を何度も開催している。ベルリンのような文化都市に住むからこそ体験できる、実にうらやましい音楽環境だ。



ランチタイムコンサートの後は、ウンター・デン・リンデン(菩提樹)周辺を散策した。ちょうど菩提樹が花盛りの時だった。シューベルトの歌曲「菩提樹 Lindenbaum」ではよく耳にするものの、実際にこの目で見たのは初めてだ。このあたりは東ベルリンに位置するあたりで、ドイツ民主共和国の政治・文化の中心だった場所である。
文化施設がともかく多い。現在マキシム・ゴーリキー劇場は、かつて1827年に建てられ1929年に20歳の若きメンデルスゾーンがJ.S.バッハの「マタイ受難曲」の復活演奏会を行った場所である。合唱団専用のホールが建てられること自体、合唱団による演奏会が盛んだったことを物語っている。合唱といえば、東ドイツ DDR時代のレコードで聴いていた合唱団といえば、「ベルリン聖ヘドヴィッヒ大聖堂聖歌隊」という名称だった。大聖堂と言うからさぞかしデカいだろうと思いきや、教会の内部は写真のようで、ちょっと拍子抜けだった。ベルリンドーム(大聖堂)と比べれば、半分くらいの大きさ。しかも、いかにもDDR時代に建てられた趣きの無機質な建物だった。ベルリンドイツオペラ(かつてのDDR時代のベルリン国立歌劇場)は改装中だった(2018年に完成している)。





夜はコミッシェオーパーで、モーツアルトのオペラ「魔笛」を観劇した。舞台芸術としてのよく知っているオペラではなく、プロジェクションマッピングを用いたバリー・コスキー演出による舞台で、スクリーンから投影される映画の中で実際の歌手が歌っているもので、奇抜な演出として話題になっていた。その演出は、2019年4月に日本でも上演されたが、高額だったので観なかった。日本での「引越し公演」はどうしても高嶺の花になってしまう。2019年11月にベルリン・フィルハーモニーが来日公演を行った。別のブログで記したように、同じ演目をベルリンで聴く機会を作ったが、1/4から1/3の入場料であった。致し方ないとはいえ、質の高い音楽を聴く機会は限られてしまう。


終演後はSバーンを経由して南西部の自宅に泊まめていただいた。自宅は楽器のレッスンをするスペースが十分にある。翌日は、ポツダムを経由して広いサンスーシ宮殿を見学して昼食をご一緒した。その後テーゲル空港まで送っていただいた後、ミュンヘン経由で帰国した。ちょうどサッカーのユーロ2016の会期中で、中継を楽しむことができたタイミングだった。



さらに2019年にも再再会を果たした。
ちょうどブランデンブルク門周辺は、9日に開催されるベルリンの壁崩壊から30周年記念式典を前に準備が進んでいるところだった。西ベルリン側はステージと、メッセージの書かれたたくさんの吹き流しが特徴の装飾だった。一方、東ベルリン側は特になく、普段通りの姿だった。
オーケストラの合宿がその週末に予定されているというので、「11月7日の昼間ならいいよ」と、ブランデンブルク門で待ち合わせランチだけをご一緒することができた。




音楽を通じた出会い。その積み重ねによってこの30年の歩みが築かれてきた。それは、私たち夫婦にとっても喜びである。R夫妻は「日本に行くチャンスはないだろう」と言っていたが、まだまだ若いこちらがまた出向くことになろう。元気で再会できることを願っている(写真は2016年6月、国会議事堂をバックに)。
