プラハで特別な音楽体験


2016年6月11日、プラハ市と京都市が姉妹都市になって20周年を記念する演奏会がプラハで開催された(下のポスターやコンサート案内サイトを参照願います!)。学生時代に所属していた立命館大学メンネルコールのOB合唱団に参加の依頼があり、メンバーの一人として私は、ドヴォルザークホールのステージに立つことができた。(*チェコ風にはドヴォジャークと発音するようだが、ドヴォルザークと記す)

この演奏会は上記のように、ペトル・エベン Petr Eben(1929-2007)と廣瀬量平(1930-2008)というチェコ(チェコ・スロバキア時代を含む)と日本の音楽を代表する同時代の作曲家による、小規模の器楽曲と合唱作品を中心に構成されたユニークなプログラムだった。

ルドルフィヌムは「芸術家の家」と呼ばれる。ヴルタヴァ川の向こうにプラハ城を臨み、旧市街からも徒歩圏。トラムの駅からも近い。ステージに立ったドヴォルザークホールは、これまで約40年の合唱歴で体験したことのない雰囲気だった。エントランスホール、楽屋、付帯設備など演奏する者の気持ちを高めてくれる。そして目の前に広がる客席は、二階席には柱が高くそびえ立ち、天井までが高く空間が広い。そのため残響が長いが、繊細に響くように感じられた。ステージに立って歌う側には心地良かった。ステージの床板や山台などは建てられた当時のままのようで(実際には違うだろうが)、お世辞でもきれいとは言えず、年季が入っているのも魅力だと感じた。ホールの廊下にあるチェコフィルの歴代首席指揮者たちの胸像をはじめ、一つひとつに歴史を重ねてきた慈しみを感じた。私たちがリハーサルをさせてもらった小ホール「スーク・ホール」も、弦楽四重奏など小編成向けのホールとして格調の高さを感じた。

演奏会には、1,108人収容できるドヴォルザークホールに300人前後の聴衆が来場していたと思う。チェコでは6月の上旬に学校が終わり夏休みに入る時期で「聴衆は少ないかもしれない」という話を事前に聞いていた。ただ、数の多少は問題ではなく、音楽を聴く人たちの姿勢にとても心を打たれた。ステージからは、ホール前方の座席に陣取っていたプラハの方々の表情が良く見えた。私たちの作品は日本語で歌うもの。演奏会プログラムや歌詞対訳が特別に用意されているわけではない。会場の大半はおそらく言葉がわからないであろう。けれども、私たちの演奏を真摯に聞き、ステージに立つ我々の表情を食い入るように見つつ、音楽を受け止めようとしている顔が今も目に焼きついているほど、私にとって特別な音楽体験だった。それは、長い間に音楽を培ってきた「音楽の街プラハ」を自負する、音楽に対して厳しく温かい聴衆としての態度だと感じた。それにすっかり心を奪われた。音楽をはじめとする異文化に対する心構え、文化都市としての存在感、さまざまな歴史を経たに圧倒されたひと時だった。これに対して、演奏会中眠っていた日本人の聴衆たちの方が気になってしまい、態度の差に愕然とした。

このホールは、チェコを代表する作曲家の一人、ベドジフ・スメタナが亡くなった翌年の1885年に完成している。その後1896年に、チェコフィルハーモニー管弦楽団が設立され、作曲家アントニン・ドヴォルザークがデビュー公演を指揮している。チェコフィルは2020年/2021年シーズンが125期を数えており、こうしたホール、コンサート、音楽が市民社会に根づき始めた歴史と重なっている。

「ドヴォルザークホール」はチェコフィルの本拠地である。ホールのウェブサイト https://www.rudolfinum.cz でコンサート情報を見ると、チェコフィルが定期コンサート以外にも、学生たちによる演奏会、さらには子ども向けのコンサートを開催しているところが興味深い。音楽を聴くこと、奏でることについて真剣に取り組んでいるのがよくわかる。どんな内容で子どもたちの情操教育をしているのかとても興味があり、機会があれば一度見てみたいと思う。

2019年秋にプラハを訪れた際、ドヴォルザークホールでチェコ放送交響楽団(SOČR)のコンサートを聴くことができた。ラヴェル、プロコフィエフ、今度は、ステージ側でなく客席側でホールを楽しむことができた。前から4列目の席だった。やや中央に近い席だったので、中に入る方を通すためにはいちいち立つ必要もあるが、ヨーロッパにいることを実感した。幕間の時間には、二階席がどんな風に見えるかを確認したり、ラウンジで横浜から来た夫婦と少し立ち話をすることもできた。

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