ライン Rhein


2022年のドイツ出張は、フランクフルト国際見本市会場で開催された「Automechanika2022」展示会から始まっていた。

フランクフルトという地名は、正確にはフランクフルト・アム・マイン。Frankfurt am Main, Frankfurt/Mなどと表記するが、マイン川沿いのフランクフルトという意味だ。ベルリンの東、かつての東ドイツに属していたオーデル川沿いのフランクフルト・アン・デア・オーデルFrankfurt(Oder) があるから、同じフランクフルトをそれぞれ別々に表記する。

日本から航空機でドイツに渡航するとき、着陸する最も一般的な空港はフランクフルトだ。乗り換えなしで目的地に行けるのは時間の節約ができ助かる。

会期は5日間。ほぼ全日顔を出していた。会期中のホテル代はフランクフルト市内だと通常の3倍ぐらいに跳ね上がるため、展示会場まで電車で1時間ほどかかるが、マインツにホテルを確保して通った。電車代は片道5€ほどかかるが、プレスパスであれば期間中はフリーパスになっているの。マインツからフランクフルトに向かうとき、必ず渡るのがライン川である。そしてマインツからライン川とマイン川に分かれていく。

今回の出張では、フランクフルトから北上してハノーファーの展示会に行き、ヴッパタールでの取材からケルンを経由してシュツットガルトまで南下し、マンハイムを経由してフランクフルトに戻ってきた。ほぼドイツ鉄道(DB)のICEで移動したので、ライン川を渡ったり、近くで見たり、車窓から見たり、何度か目にする機会があった。ルートに沿って、いくつかの写真と動画で追っていくことにする。

マインツのライン河畔。パノラマ撮影。

🔹ライン

Im Rhein, im heiligen Strome, ライン川 その聖なる流れ
Da spiegelt sich in den Well’n その波に映る
Mit seinem grossen Dome,  大きな 大聖堂
Das grosse, heilige Köln.   偉大な 聖なるケルン

ロベルト・シューマンが1840年に、ハインリヒ・ハイネの詩をもとに作曲した歌曲「詩人の恋 Dichetliebe」Op.48の第6曲、”Im Rhein, im heiligen Strome” はこう歌い出す。また、同じシューマンには「ライン」というタイトルがつい交響曲第3番 Es-dur Op.97もあり、ライン川の悠大な流れが音楽に表現されているように感じる。

この歌曲のように、19世紀ロマン派時代のライン川には、さまざまな情緒を掻き立てる豊かで聖なる川というイメージがあったのかもしれない。

しかし時代を経て2022年は、ヨーロッパを襲った水不足、高温、旱魃のため、ライン川の水位が下がって不安を感じていた時があった。この川の全長は1,233km。そのうちドイツ国内だけで約700km。アルプスを源流に、スイス・バーゼル、ドイツを経由して途中、マインツとケルンの間にはビンゲンやコブレンツなどの街があり、歌で知られるローレライなどの景勝地もある。そして、ケルンや、日本人の多いデュッセルドルフを経てオランダから北海に流れていく。

川を伝って移動することが主流だった時代にできた城も多い。それぞれの領土に入国するたびに通行税がかかったという話もある。沿岸には、観光で知られた景勝地もあれば、河岸に広がるぶどう畑で収穫したワインの醸造をはじめとする農業、さまざまな産業拠点としての都市など、さまざまな風景が広がっていた。

次にライン川の様子を動画3点で紹介しておく。

①マインツ市内を散歩中。ライン河畔を見てみた。
②ケルンからシュツットガルトに向かうICEの車窓から見たライン河畔。
③フランクフルト中央駅からマインツに向かうDBの電車の車窓。ライン川を渡るところ

🔸マインツ

展示会場までは滞在先のマインツからフランクフルトまでの往復が続いた。ホテルが駅前だったので、なかなか街中に行く機会がなかったが、土曜日の早朝、朝食前に少しだけ歩いた。大聖堂前には土曜日の朝のマーケットの準備が進められていた。大聖堂の前には、マインツ出身で活版印刷機を発明したグーテンベルクの博物館もあった。マインツはラインラント=プファルツ州の州都であり、大司教区が置かれている歴史的な街である。

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