ネッカーとマンハイム Neckar & Mannheim


ネッカーはドイツ南西部を流れる川の名前だ。全長367km。

改めて、昨年2022年秋にまる2週間ほど滞在し、その中で感じ取ったことを記録してみた。

それは19世紀半ば辺りから始まったドイツの近代において、産業の発展に川が果たした役割である。その一端は、メルセデスベンツのあるシュツットガルトから、ネッカー川の下流でライン川に合流する場所にあるマンハイムに2日ほど滞在する機会を通じてである。この2つの都市はバーデン・ヴュルテンベルク州に属しており、マンハイムはその最北端に位置する。

🔹ネッカー川

これらはいずれもマンハイムの市内を散歩している中で、ライン川との合流地点方向に歩きながら撮影した写真である。今もこの川を輸送船や観光船が往来しているのがわかる。写真の手前側が上流になり、ヘイデルベルクやシュツットガルトといった街がある。地政学的に、広大な平野が広がるのではなく、むしろ山に囲まれた内陸に位置するので、この川の上流に産業があることをなかなか想像できない。

🔸マンハイムとルートヴィヒスハーフェン

上の写真は、マンハイムでマイン川がライン川と合流する地点である。橋はマンハイム中央駅(写真左側方向に駅がある)の北側に位置して鉄道が走っている。奥に見える煙突はライン川の対岸にあるルートヴィヒスハーフェンという名前の街がある。

そして、次の写真に見える川の左側がルートヴィヒスハーフェンの街である。

左側がルートヴィヒスハーフェン。マンハイムとを結ぶライン川に架かる橋の上から

🔹ネッカー川の役割

ハーフェンHafenということばはドイツ語で「港」を意味する。「ルートヴィヒの港」である。「ルートヴィヒの城」というルートヴィヒスブルクという街もネッカー川の上流にある。港というと海を連想してしまうが、海ではなく川に築かれた港なのである。海上輸送は北海沿岸に行けばもちろんあるが、ドイツの大半では大きな河川を利用した水上輸送によって経済成長と産業の発展を支えてきたのである。現在では、ヨーロッパの物流が圧倒的に道路を利用するトラック輸送が強いのだが、これまでの歴史を歩む中で、大量の資源や資材、そして製品の運搬で河川を利用してきたからこそ、巨大な産業が成り立ち成長を遂げたといえる。

このルートヴィヒスハーフェンは現在、世界的にも有名な総合化学品メーカーBASFの本社がある。同社は1865年に対岸のマンハイムで創業している。この出張では、BASFグループの塗料メーカーの方と話す機会があった。ドイツの産業にとってライン川の水上輸送が極めて大切だということが理解できたと伝えたら、「その通りだ」と返答してくれたのだった。これまであまりピンと来なかったのだが、この出張前にフランスに行った時、ライン川やマンハイムやルートヴィヒスハーフェンを通過する機会があった時に感じたのだ。

川はいつの時代も、場所を問わず、人々の生活スタイルとともに役割を変えてきたのだ。

ネッカー川の入口にあった穀物のストックヤード。船から積荷を揚げて保管している。
歴史的に見れば、このマンハイムでライン川とネッカー川で積荷の積み替えも行われていたようだ。

🔸マンハイムとカール・ベンツ

土曜日の午後、マンハイムの市街中心部も歩いた。フリードリヒ広場にあるカール・ベンツ(1844-1929)の記念モニュメントとともに、彼が1885年にこの街で製造した世界初の特許取得自動車「ベンツ・パテント・モトール・ヴァーゲン」というエンジンを載せた3輪自動車のレプリカが置かれていた。この技術がやがて、ベンツとゴットリープ・ダイムラーとともに今の世界的な自動車メーカーとなったメルセデスベンツ社の礎を築くことになったことを記念している。

この自動車の模型はシュツットガルトにあるメルセデスベンツ博物館にも展示されている。博物館のレポートはこちらをお読みいただきたい。→ メルセデスベンツ博物館

🔹マンハイムとモーツァルト

そして、マンハイムにゆかりのある歴史上の人物がいた。産業革命が起こる前の時代である。その名はW. A. モーツァルト(1756-91)である。日曜の早朝散歩でイエズス会教会を通りっかった時、壁に写真右のようなプレートが掲げられていたの偶然発見した。この教会のミサに出席したとパネルに記されている。写真は朝焼けの教会。

調べてみると、1777年秋から78年春まで半年ほどマンハイムに滞在していたという。この頃マンハイムに宮廷が置かれ、ファルツ選帝侯カール4世フィリップ・テオドールの宮廷楽団の作曲家たちが活動しており、ヨハン・シュターミッツを創始者とする「マンハイム楽派」が活躍していた時代。モーツァルトは21歳で就職活動のために訪れたものの、結果はダメだったそうだ。それでも若きモーツァルトは、彼らから強い影響を受けたという。

話はずっと現代に変わる。かのビートルズがイギリス・リバプールからドイツ・ハンブルクで活動していたのも、ジョン・レノンらが20歳そこそこだったそうだ。ジョージ・ハリスンに至っては未成年だったという。モーツァルト然り、音楽家にとって若い頃の武者修行が大いに影響を与えるんだなあとふと思ったのである。

🔸マンハイム滞在中のテレビに現れたゲレオン・ゴルドマン神父

マンハイムの街とは関係ないのだが、もう一つ付け加えておきたい出来事があった。

テレビを付けていろいろチャンネルを探していたときに突然現れたのが、ゲレオン・ゴルドマン神父(1916-2003)だったのである。1979年、東京都東久留米市に設立された宗教法人聖グレゴリオの家宗教音楽研究所の創設者である。この番組のテーマは、ナチス=ヒトラー時代の出来事を振り返っていたと思われる。フルダのフラウエンベルク修道院に戻ってから撮影されたのであろう。インタビューの中で「ヒムラー」「SS」という名前が出てきた。彼は、ナチスの党員であった一方、ヒトラー暗殺計画を企てた一人の外交官、アダム・フォン・トロットAdam von Trott zu Solzの通訳として関わったため死刑宣告を受けていたのだが、執行直前に入った電報によって処刑を免れ、その後神父として来日し、さらに同研究所の設立を進めたのだった。私は30数年前に聖歌隊に賛助出演したことがあり、2023年4月から週3回勤務している。

聖グレゴリオの家の創始者、ゲレオン・ゴルドマン神父のインタビューの一部

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