突然の発症、それでも生きる


〜急性心筋梗塞をどう生きるか〜

入院から10日が経過した。まだ病室にいるが今日退院する。処置が早かったからと順調に体調や体力が回復し、体重は入院前から4kgほど減っているものの、日に日に良くなっていることを実感していた。「回復は順調。週明けの検査結果次第で退院できる」と、2月17日金曜日の段階で医師から告知を受けていた。手元に運動機能を検査するため、3月にもう一度来院するための書類がある。その診断名欄には「急性心筋梗塞」と記されている

心配することはない!大丈夫。助かるから!

今回、自ら体験した心筋梗塞(急性)をめぐる治療と経過、救急救命、病院のしくみ、入院生活をはじめ、家族、保険、食生活、健康診断など、これから自らが患った病に関わった体験記録を自由に残しておこうと思う。なお、医療や医学に関しての知識は極めて疎く低いことを自認している。要領を得ないかもしれないが、なかなか経験や知識がないと理解しづらい疾病や医療環境など、少しでも深めておくことができたら良いと考えている。

◆胸の痛みを感じて、初動

2023年2月13日9時1分、私は週2、3回のルーティーンにしているジョギング(当日は4kmあまり)を済ませ、クーリングダウンしウォーキングから帰宅した。

数分の後、急に胸が苦しくなってきた。さらに胸全体の痛みがひかないままの状態が続いた。9時30分、高コレステロールのことで通院しているH病院に連絡した。「当直の循環器担当K医師が対応してくれる」と看護師が担当してくれた。「何時頃に来られますか?」「10時までには行けます」。

一旦外出したが携帯電話を忘れたと思ってエレベーターではなく階段を歩いて登った。かなりきつかった。救急車やタクシーも考えた。だが、呼んでもここに来るまで時間がかかること。車で5分ほどなので、自走で行けると判断し、診察券や財布など最低限のものを持って自家用車を運転し出向いた。

10時数分前に到着し受付を済ませて診察を待った。

待ち時間も痛みが強くはならなかったが引くことはなく、椅子に座ってずっと前屈みの状態が続いた。それがもっとも痛みに耐える楽に感じる格好だった。

心電図とレントゲン(胸部X線)を撮った。医師は診察室でそれらから判断し「心筋梗塞の可能性がある。ここではなくS病院の緊急外来に連絡している」とのことだった。

「家族と連絡が取れますか?」と尋ねられ、妻の携帯電話にかけた。10時36分。一旦は通じなかったが、折り返し電話でようやく話ができた。

「どうしたの?何があったの?」と明らかに驚いた声だった。

「実はH病院にいて、これからS病院に向かう」と伝えた。

その後点滴を受け、仰向けの状態になって処置室でしばらく救急車を待った。診察料の精算も済ませた。

サイレンが近づく音がしてきた。目的地のS病院に渡す封筒を持ち、点滴をつけた状態でストレッチャーに載ってS病院へ向かった。付き添いの救命士の方と少し話しつつ、「救急車の中ってこんな様子なんだ」と思いながら、あっという間に到着したのは11時だった。

◆急性心筋梗塞を発症

S病院の救命救急室は、医療における未知の世界が待っていた。大病の経験がなかったので正直驚いた。

救急車のストレッチャーから、病院のベッドに移された。自分でも足は動かせたと思うが医療チームの手に身を委ねた。

多数の目が注がれる中、仰向けになった状態の私は、すごい勢いで身ぐるみ剥がされていった。部分剃毛。尿管取り付け。おむつ装着などなど、あっという間に多数の手を経てガウンを身につけていた。そこにはまったく自分の意思はなく、まさに「まな板(俎)の鯉」状態だった。実際に、思わず声を出して笑ってしまった。

再び「家族と連絡は取れますか?」と電話番号を尋ねられた。実に記憶が曖昧なのだ。代理で電話するというのだが、果たして通じたのだろうか。

点滴の管がいくつも装着され、まずいくつかの検査後、治療を施すことになる時間的な流れの説明、さらにこの治療はかなりリスクを伴うという話を聞いた。タブレットに示された同意書の文面を要約して説明を受け、ペンでサインした。

レントゲン、心電図、エコー(超音波検査)などの検査を通じて診断し、治療方法を決定したと思われる。エコーの画面には、3本ある環状脈の1本が塞がっているところを映し出していたのが私の目にも見えた。それを授業中の医学生たちも観て説明を受けていた。余談だが、「病があった際、自走して事故すると保険金が下りないから注意せよ」と説明もあった。私は知らなかったがセーフだった。

他にもいくつかのプロセスがあったかもしれない。血管に血栓ができ塞がれ、血液が流れなくなり、その先が壊死する心筋梗塞が起きた。その部位は、心臓に血液や栄養を送る冠動脈左前行枝(7番)。それ以外の血管は問題なかった。

◆カテーテル治療

さらに、私は救急救命室から緊急処置室にベッドが移動された。

治療方法についての説明があった。

そこで行われたのは、造影剤とともに「カテーテル」という医療用のワイヤーを手首や足の付け根(鼠径部)から血管に入れて検査や治療を行う方法である。一般的に「カテーテル手術」と言ったりもする。私の場合、手首の血管からワイヤーを入れ、患部に挿入し貫くとともに、血管内に金属(コバルトクロム)製ステント(長さは38mm、幅2.8mm)を留置する内科的手術だった。今までの心臓手術では、外科的手術として開胸し、いわゆる「バイパス」して処置する手術が多かったようだが、その必要がない場合にはこうした処置方法が取られている。そのため、私のように1本の血管の治療で済んだケースでは、体への負担も少なく比較的短時間で退院も可能になる。

しかしながら、それがどのような治療なのかはまったく予想がつかなかった。

カテーテル治療を行っている間、血液をサラサラし、血管を膨張させる点滴が右前腕から供給されていたときは苦しかった。「しんどいかもしれない」と看護師に事前に言われていた。暴れることはなかったが、何度も「うー、しんどい」「うー、しんどい」と呻き声を出していた。心の中では何度も、「神様、助けてくれ、この命を救ってくれ」と祈っていた。治療を受けている間もずっと意識はあったが、いつのまにか眠っていた。

気づくと治療は1時間半くらいで終わった。点滴が送られていた針が入った右手首に巻かれたテープには13時19分と記されていた。それは針が抜かれた時間だ。

胸は楽になり、その後も痛みを感じることは全くなかった。

入院中に受けたエコーでも、順調だと聞いて少し安心した。

ICU(集中治療室)に移送され、2日間を過ごすことになった。(つづく)

#心筋梗塞

#カテーテル治療

#ステント留置

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