1990年春、”VGM”の源を体験


1990年4月末、所属合唱団(東京スコラ・カントールム Schola Catorrum, Tokyo)の一員として初めてドイツを訪問した。28日土曜日、鉄道の乗換駅として栄えたべブラからほど近いヘッセン州のゾルツ Solz村にあるイムスハウゼン共同体(プロテスタント系で男女が共同で生活する)に4日間滞在した。ここで初めて、”Von Guten Mächten”「善き力に」に関わる体験をした。30年経った今、ようやく気づいたことだが、その原点を私は、生涯忘れることができない。

ヒトラー暗殺計画が行われたことを記念してタンネンホフの丘の上に立てられた「トロットの十字架」

春を告げるたんぽぽが辺り一面咲いた丘の上に、「トロットの十字架」と名づけられた木の十字架が立てられている(写真①)。「トロット」という名を聞いてピンとくる人は、よほど第二次世界大戦前後のドイツのに詳しい人だろう。その名は、ナチス政権下に「ヒトラー暗殺計画」が水面下で活動していた「クライザウグループ」のメンバーの一人で、外交官だったアダム・フォン・トロット Adam von Trott zu Solz(1909年8月9日ポツダム生まれ-1944年8月26日ベルリン・プレッツェンゼーで処刑。写真②③)だ(この関係の多くの書籍には掲載されているので索引で確認できる)。

彼は、他の計画実行者たちと同様に投獄、1945年4月に処刑された。彼を記念して建てられた十字架である。私たちが訪れた時は、アダムの姉のヴェラ Veraさん(1906-1991)が健在だった。私たちは歌をプレゼントした(写真③)。その姿を見て「皆さんが持っている楽譜が鳩のようです。平和がやってきました」と挨拶。貴族の流れを継ぐキリッとした佇まいがとても印象的だった(写真④⑤)。

ベルリンの壁崩壊後のドイツ、そこに至るまでの現代史におけるヒトラー暗殺計画、プロテスタント系神学者のディートリヒ・ボンヘッファーを知ったきっかけは、まさにこの時だった(写真⑥=ベルリン・ドイツ抵抗記念館に二人が並んでいた写真。2019年11月撮影)。

家畜小屋を改造してチャペルや住居に建て替えた共同体(写真⑦⑧)。そこには、第二次世界大戦の悲しい過去を背負い、世界の平和を願いカトリック・ベネディクト修道院のように「祈りと労働」の生活を実行している人たちが暮らしていた。

到着した夕方の晩祷に出た時、シスターやブラザーたちが祈り歌う響きに驚いた。グレゴリオ聖歌をベースにしたドイツ語の単旋律の祈祷も多声部の合唱も、今まで聴いたことのない響きやハーモニー。まさに「ハルモニア=調和」の理想郷という心地だった。日々の忙しい生活に疲れ汚れきっていた私が、魂から覚醒し新しい何かが生まれた瞬間だった。木をふんだんに使った聖堂で音響が良いこともあるが、その声はとても自然で柔らかく、純粋で汚れがなく透明感があった。「神が創られた世界がここにある。地上で実現している!」と、心が満たされていた。キリスト教用語でいえば、「聖霊で満たされていた」という表現になろうか。「こういう声を聴いてしまったら声を出せない」と思うほど、心の奥底から力強く心を打つ声だった。聞けば、特に声楽的な訓練を受けているわけではないという。そして、滞在期間中の朝一番の朝課、晩課、真っ暗な中で蝋燭のわずかな光で祈る終課のいずれも、テクニックではないまっすぐ神に向かう「祈りの心」が醸す響きに、終始圧倒され感動していた。

この体験は、声がもつ響きのイメージの見本となって、「イムスハウゼン(共同体)のような響きの祈りや声はどうしたら出せるのだろう」と問いは仲間の共有財産となっていった。さらに30年経った今も、その体験は心の中に深く残っている一方て、私の中で自問自答が続いている。一所懸命歌おうとすると、前のめりになってしまったり、個人のエゴが出てしまったり。キリスト教音楽にずっと関わっているが、歌を聴かせるのではなく、神に向かって一心に委ねている姿を見習おうと思った。その心がどこから来るのかを探っていきたいと思った原点はここにある。

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